久々に鮮明に夢を見た。
とある仕事を手伝う話になって、手伝おうといろいろしているのだが、何かしらミスする度に相手から口汚く怒られていた。あまりにも腹が立ち、手伝うのをやめようとしたら、また非難されたのだが、そのタイミングで俺は昔のその人がやっていた行動についてキレていた。あなたはこれまで何度キレた姿を晒して周囲を不快にしてきたのか、と。それが自分に向けられたらそんなふうになるんだったら、やるなと。
ただ、夢の中で相手が怒っていたのは自分のせいでもあったのだが、毎度毎度起きていたのは、「なぜ確認していないのか」や「なぜ調査していないのか」という話で、その場になって突然言われるやつだった。つまりは指示の中に「事前に確認すること」が抜けていた。「そんなものは常識。事前に確認するのが当たり前」みたいなことをその人の怒った口調で言われていたのだが、こちらにはその前提がないし、そんな常識は教わってもいないので、できるわけがない。
夢の中では、決裂しそうになったのだが、手伝わないと埒が明かないのは明白だったので、「確認してほしかったんなら最初っから言え!」だの、「そんなふうに言われたらあなたと一緒に働きたくなくなる。多分他の人も同じ気持ちだろう。今回は確認してから続きをやるけれど、次はない。言葉に気を付けてほしい」だのと言って手伝いを継続していたところで目が覚めた。
目覚めは非常にスッキリとしていた。多分、今まで皆が思っていても言えなかったことを全部言えたからなのかなーと思う。
応用行動分析
起きてから夢のことを考えていた。最近、子育ての関係で応用行動分析の本を読んでいる。行動には基本原理があり、行動の後の結果次第で、後の行動が増えたり減ったりするようになる。それが、強化・消去・罰に分類される。
強化
手伝いをして褒められたらまた手伝うようになる。これを分析すると、
行動:手伝いをする 結果:褒められる その後:また手伝いをするようになる
強化は、いいことは強化するべきだけれど、意図せずして悪いことを強化してしまうこともある。例えば、
- 行動:おやつを買ってと暴れる
- 結果:おやつを買う
- その後:また暴れるようになる
また、強化にも積極的強化と消極的強化がある。
積極的強化
行動の後、褒美を与える強化。
消極的強化
行動の後、不快を取り去る強化。例えば、頭痛薬を飲むと、頭痛がなくなるので、また頭痛薬を飲む。
消去
手伝いをしたが褒められなかったのでだんだん手伝わなくなる。これを分析すると、
- 行動:手伝いをする
- 結果:何もしない
- その後:手伝わなくなる
消去は、問題行動をしているときにうまく対応すれば、その問題行動を減らせる。
- 行動:おやつを買ってと暴れる
- 結果:どんなに暴れてもおやつを買わない
- その後:暴れなくなっていく
罰
手伝いをしたが怒られたので二度としたくなくなった。これを分析すると、
- 行動:手伝いをする
- 結果:怒られる
- その後:手伝わなくなる
罰は、この分析だけ見るとよくないように思えるが、抑止力になる。世の中で使われている罰は、交通違反をしたときの罰金などだ。
- 行動:おやつを買ってと暴れる
- 結果:一定期間の間、おやつ抜きにする
- その後:暴れなくなっていく
また、強化にも積極的強化と消極的強化がある。
積極的罰
行動の後、不快を与える罰。体罰、罰金、精神的苦痛。なるべく積極的罰はするべきではない。
消極的罰
行動の後、褒美を取り去る罰。ゲーム機の没収やテレビを消すなど。
自省を促せるように
先の夢に出てきた人は、すぐに罰(精神的苦痛を与える)を使おうとする傾向にあった。これもまた、その人のことを思って怒っているのかもしれないが(もしくは自分の不快を取り除きたいだけかもしれないが)、自省を促すというアクションがあればよかったのかなと思う。今度からどうしたらいいと思う?とか。
こういうとき、大体はミスした本人も「しまった!」と思っている。夢の中の自分もそう思っていた。「言われてみればたしかにそうだ」とは思っているのだが、ミスに対する罵られ方があまりにひどく、「あなたの言っていることは正しいけれど従いたくない」という気持ちになっていた。 人間は感情で動く生き物なので、正しければいいというものではないなと再認識した。その後に手伝いのお礼を言うなり、次にミスしなかったことを褒めたら、積極的強化につながる。
知っていないとできない
とはいえ、時々思うことがある…。考えさせたいのだろうけれど、そもそも知っていないとできないことを、相手に求めていないか、と。AとBとCの道があるけれど、当人はCの道を知らなかったら、Cが選択できない。AとBとCの全ての道を知っている上で考えさせるのはいいと思う。ただ、知らない場合は先に教えてあげたほうがいいと思う。
時々、考えさせた後に、理想の答えじゃないから「いや、Cがあるじゃん…。なんで気づかないの?」みたいなことを言ってしまうことがあるかと思う。これは罰になるだろう。もしくは、延々と「これは理想の回答ではありません」というふうにするパターン。これも、ものすごく精神的苦痛を伴う。昔、OSSにPull Requestを出したときにこういう目にあって本当に嫌になったことがある。
自分がよくやるテクニック
行動にしろ、コードにしろ、それらには当人の感情が宿っている。なので、自分がコードレビューとかでよくやるダメ出しでは、「実は…」とか「なんと、…」を結構使う。
「実はCの道があります!」とか「なんと、Cという道があるらしいよ!ソースはここ!(URLを載せる)」とか。「Cの道があります」だと只の指摘で暗にAとBがダメという感じがあるけれど、「実はCの道があるよ!」だと当人の気付きになるのと、AやBより良いと認識されやすいかと感じている。
まとまらないけれど
起きた時の夢の最初の感想は、相手がだいぶ年配の人だったので「高齢者はせっかく手伝っているのに、伝えるべきことを伝えないという自分のミスを、常識ということに転嫁して怒るし、本当に厄介な存在だ」という感じだった。けれど、いろいろ考えているうちに、その人の親もそうだったんだろうなぁ…とか、もしかしたらその人の姿の影響を受けたりして自分も他人から見たらそう映るかもなぁ…とか、思っていた。
なんにしても高圧的な態度をとったりはいけない。たとえ正しかっとしても、だ。物腰柔らかくいこう。