patorashのブログ

方向性はまだない

発達障害児の言語獲得を読んで

発達障害児の言語獲得―応用行動分析的支援(フリーオペラント法)

発達障害児の言語獲得―応用行動分析的支援(フリーオペラント法)

うちの長男が発達障害でまだ話すことができないため、なにかしらのヒントがないか?と思って買ってみた。なお、読んだ際にわかったのだが、著者の佐久間先生が先に出している本を先に読んでおいたほうが良さそうではあった。

広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)

広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)

広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)に関しては、Amazonで注文していて、まだ届いていないので届き次第読んでいこうと思う。

本の概要

この本は、重度の自閉症のあいちゃん(仮名)がセラピーを通じて徐々に発話していく過程が描かれていた。もちろん、セラピーだけではダメで、家でのあいちゃんへの接し方などの指導も入っていた。フリーオペラント法の基本は、大人が子供の言動を模倣してあげること。大人が子供の模倣をする→大人が反応してくれていることを認識する→もっと反応してほしくなるので、大人の真似をし始める、ということのようだ。

本を読んで学んだこと

私がかなり思い悩んでいたことなどについて、肩の荷が軽くなるようなことが多く書かれていたので、それについて書いておく。

しつけは不要

まずはこれが一番驚いた。発達障害の子はそもそもしつけがし辛いのだけれど、他の本の影響もあって、根気よくやっていかなければならない、と思っていた。ところが、佐久間先生はしつけは不要だという。それは何故か?しつけは大人が子供にこうあってありたいという思いを強制するものであるため、まだ理解できない子供の自発的な行動を抑制してしまうことになる。 健常児であれば、言葉が理解できるようになっているため、徐々にその場にふさわしい行動を教えていくこともできるが、言語が理解できない状態の発達障害児の場合はますます行動に抑制がかかり、話せなくなるとのこと。これを読んで、あまりキツイしつけはやめようと思った。

応用行動分析の本はABAの本なども読んだが、お菓子などを使って、よい行動を強化するという話があったりもしたのだが、それについても本書では懐疑的な感じで書いてあった。それもしつけの一種であり、できるように誘導しているからなのだろうか?本の中では、正しい行動ができるようにはなっていたが、当の本人はビクビクしていてちっとも楽しそうではない、と書いてあってショックだった。同じ応用行動分析でも違うのだなと感じた。ABAの本では、「『周囲からは動物の調教みたいでかわいそう』と言われるが、本当にかわいそうなのはちゃんとした行動ができないまま放置されることではないか?」と書かれていて、私もそれには非常に共感していた。発達障害の話だとヘレン・ケラーの教育を行ったサリバン先生の話がよく出てくるのだけれど、サリバン先生のように、その子のために根気よく行うことが大事と書かれていて、「厳しくても子供のため…」と思うようなときもあったのだが、本書では「みんながサリバン先生になってしまったら、子供は誰に甘えられるのか?心を許せるのか?」みたいなことが書かれていてハッとした。

フリーオペラント法は、子供の自発性を伸ばして、興味を広げていき、言語獲得や社会性の習得をしていくという哲学であるため、自発性を伸ばすためならしつけをしなくてもいいということだった。なので、遊びの片付けもしなくてもいいし、食べ物を食べるときも手掴みでいい。むしろ手を使うことはよいことなのでできるだけ長く手掴みで食べさせてもいい、くらいに書かれていた。「しつけは後からでもできる」、「言語の獲得に全振りしたほうがいい」という言葉にはとても励まされる。ちょっとABAのことに対しては全部鵜呑みするのは危険かも…と思い始めている。悪い行動の消去とかはいいかもとは思うが。

日本は何かと子供が騒いでいるとすぐ親のしつけが悪いだの、騒いでいるのに親は止めなくて無責任だのと言われて、しつけが厳しすぎるくらいで、成長するにしたがって無気力になるらしい。悪いことをしなくなる。ただし、自発的な行動もしなくなる、という…。なんかあんまり主張しない最近の若者が増えているようなのを見ると、本当にそうなのかも…と思う。周囲から言われてもあんまり気にしないようにしていきたい…。

偏食とは戦わない

自閉症の子はどこかしらの感覚が過敏なことが多くて、服を脱ぎたがったり、食べ物の好き嫌いが激しかったりするらしいのだけれど、うちの子もばっちり当てはまっている。去年の今頃は服を脱ぎまくって本当に大変だったのだが、最近は落ち着いてきている。長袖じゃなくて半袖になったからかな?等と妻と話していたのだが、本を読んだ後に思うのは、どうも感覚が慣れてきたからなのではないか?本の中では、くすぐったり、乾布摩擦をしてあげるのがよいらしい。そういえば、よくカウントダウンをしてくすぐっていたのだが、それがよい影響を与えていたのかもしれない。因みにカウントダウンは、何が起きるのかを予測するようになったり、待てるようになったりするのでよいらしい。うちの子は0になったらくすぐられるのがわかっているから、2秒前くらいから期待してニヤニヤしだしていた。

見出しとは違うことを書いていたけれど、偏食は口の中が過敏な状態ということらしい。そのせいか、うちの子は歯磨きをほとんどしない。しないというかやろうとしても逃げられる。無理やり磨くのは妻と私の二人がかりでも相当大変なことであるし、なにより本人が物凄く嫌がるので、最近はあんまり磨いていない。ここまで書いて、歯磨きは口内の乾布摩擦みたいなものだからいいことなんだろうになぁ…とふと思った。 とにもかくにも、過敏な時期は収まってくるので、なんとか栄養バランスのよい食事を…と粘っても、親は疲れるし子も強要されて消極的になるので実りは少ないから偏食とは戦わないほうが身のため、という紹介がされていた。模倣から入るのがおすすめということなので、楽しそうに、美味しそうに食事を一緒にしていると、だんだん興味を持ち始めるという言葉を信じることとする。

科学を信用しすぎない

科学的なアプローチは大事かもしれないが、ちょっと寄りすぎじゃないか?ということらしい。そもそも、発達障害に関してはまだあまり解明されていない。脳科学の研究でこういうことがあった、としても、症例はそこまで多くはないし、子供ごとの個体差も大きいため、本当に効果的なのか等の判定方法が曖昧だということらしい。あとは、仮説をあたかも科学的な結論として扱うケースがあることが危険であると書いてあった。もしその仮説が間違っていた場合、もうリカバリーできない状態になっているかもしれない。 また、科学を信じようとするあまりに先人たちが蓄積してきた知恵(科学的にはまだ解明されていないが、効果がありそうなもの)をおざなりにする風潮に警告してあった。そこで分断が生じてしまい、知恵が引き継がれずに消失してしまう危険性に言及していた。

自発的な行動を尊重する

本人が自発的に模倣して言語なり行動なりを獲得していくように寄り添ってあげることが大事なのだなということを学んだ。教えてあげようとしても、それはしつけとなってしまい、自発性を奪うことになりかねない。そうなるくらいならば、じっと観察して、本人がやる気のあるときに手伝いをするのがいいのかなと思った。 兄弟げんかや、兄弟の食べ物を勝手に奪ったりすることもあるのだが、以前よりは見守るようにした。泣いた場合は泣いたほうを慰めるようにする。奪うのは食べたいからだろうけれど、大人が無理やり奪い返しても社会性が育つわけではないので、時には喧嘩も必要ということだろうなと思う。

テレビから模倣

本の中では、テレビ番組の模倣をしていたりするようだったので(ひとりでできるもん、とか)、テレビも多少ならよいのだろうか?と思うようになった。以前はテレビ番組を見せると楽なのでよく見せていたが、それが原因で発達遅延になるケースもあると本で読んで、うちもその可能性があるかも…と思ってここ数か月はテレビ自体を全くつけないようにしている。テレビを延々とつけていると、ずっと見てしまって喋ることも動くこともなく見続けてしまうので本当によくなさそう。多少はいいのかもしれない。ちなみにテレビをつけなくなってから、うちの子たちはよく喋るようになったと感じる。まだ単語とかではないけれど。テレビ番組であっても、模倣したくなるようなものがいいんだろうなと思う。

感想

現時点では、他の本で学んだことと総合すると、自発的な行動を伸ばしていく手伝いをするという点でとても共感できた。「言語獲得ができていて他がダメというケースは見当たらないので、まず言語獲得を最優先にしてしつけは殆どしない」というのがよかった。なにしろできないことが多いので、それが気になってしつけようとすればするほど、自分たちも子供もストレスを感じていた。しつけないほうがよいというのが、本当に目から鱗で、最近はもうスプーンを使わずに手掴みでご飯を食べてても、「よく食べるようになったねー」とか「おいしいねー」って話しかけているし、いろんな料理を作ってなんとか野菜を食べさせようとすることも減った。野菜が入っている好きな食べ物の回数を増やすようにした。子供もときどき「おいちー」って言うようになってきた(はっきりではないけど)。

佐久間先生の他の本も読みつつ、この本もまた読み返していこうと思う。